「山本寛講演会~無から有をつくる新しい価値観の創造~」

アインザッツ

2011年7月18日 ハーモニーホール座間

(主催者の挨拶の後、山本氏が登壇)

「なでしこJAPAN」が……。この枕はもういいですね(笑) 僕はサッカーは野球ほど詳しくはなくて、寝てました。すいません(笑) いつもやっているようなフランクなトークショーとは様子が違うので、こちらも気を引き締めてやろうかなと、こういうもの(ノートパソコン)を用意してまいりました。ネットで調べ物をしたりするかもしれません(笑)

 こういう壇上に立つ資格のある人間は功成り名遂げた人なんでしょうが、正直申し上げて、僕は成功がしたことがないので、いったい何を話せば良いのか「逆ギレ」したような気持ちでやってまいりました。皆さんに有益な情報を持って帰っていただくには、僕とは反対のことをすれば成功するのではないかと。僕はこれまで自分の信じるものを語り、形にして世に送り出してきたつもりなのですけど、成功したこともあれば失敗したこともあり、最近では失敗することが多いなと被害妄想に陥ったりもしているわけですが、ひとりのアニメーション監督にすぎない男の話として、こういう文化もあるんだ、くらいの身構えで聞いてくだされば良いかと思います。

カール・Th・ドライヤー コレクション 奇跡 (御言葉) [DVD]

 弊社、株式会社Ordet(オース)という社名は僕がつけたんですけど、カール・ドライヤーというデンマークの監督が作った映画で、邦題が『奇跡』 難しい発音なんですが、日本語に噛み砕いてオースとつけました。ご覧になった方はいっらっしゃいますか? 一家の話なんですけど、頭のいっちゃった次男がいて、一日中「人々が神を信じなくなった、えらいことだ」と呟いていて、家族からも相手にされていないのですが、彼が奇跡を起こすんですね。それを自分と重ね合わせている部分があります。たとえ狂っていると言われても、自分の信じていることをつぶやきつづけるのが自分の使命であろうと。いつかは奇跡を起こそうと、今はツイッターで持論(というほどのものではありませんが)を展開したりしています。今日の話も、そんなつぶやきだと思っていてください。

「無から有をつくる新たな価値観の創造」とありますが、別に僕は無から何かを作ったことはありません(笑) 自分が考えていたタイトルがありまして「アニメが時代に翻弄される前に」というものを提案させていただいたのですが、今という時代にアニメがどう直面していて、どう乗り越えていくべきかを語りたいと思います。大きく二つに分けてみました。一つは「ネット社会とアニメ」 もう一つは「大震災とアニメ」です。まずネットについてですが、どんどんディープな方向にいくというか愚痴になってしまうので(笑) 早めに切り上げて、大震災の話に行きたいと思います。

「IT革命」というのが10年くらい前に起こりました。その頃すでに僕は業界にいまして、それ以前と以後をちょうど経験し学ぶことが出来ました。何が変わったかと言いますと、まずセルというものがありまして(以下、技術的な説明) 分厚いカット袋を大きなカートに載せてえっちらおっちら運んでいたわけですよ。それがハードディスク一枚で済むようになった。それどころかネットで飛ばすことができる。メール一本で処理できるようになった。絵を描く段階では、まだ紙と鉛筆が多いです。タブレットを使っているのは全体の2割くらいかな。でも、パソコン1台でアニメを作れる時代になったわけです。資料を調べるにしても、今はインターネットでだいたい手に入ります。昔は一日じゅう図書館にこもって新聞を調べたりしたのですが。

 最近は、ソーシャル・ネットワーク革命と言われています。mixi とかfacebookですね。非常に簡単に情報を発信することができるようになりました。昔はホームページを作るにも難しい言語を駆使する必要があったわけです。それが、こうして(携帯を取り出して)打つことが出来る。「講演会なう」とか(笑) 自分の思いを語りかけることが楽になった。それがどんな影響を与えたかといいますと、これはあまり大きな声では言いたくないのですが、日本で深夜に放送されたアニメが翌日には海外のブログで感想があがっていたりする。不思議でしょう(笑) それだけ広範な空間が網羅され支配されている。世界中に意見が氾濫している。その代表例が「2ちゃんねる」です。もっとも、今では昔ほど影響力が無くなっていると言われています。 僕がヒアリングした限りだと、最近の若い人は「悪口が多くて欝陶しい」からと見なくなっている。そういう人たちがどこへ行ったかと言うと「ニコニコ動画」らしいのです。「youtube」もそうですけど、最近では企業とも巧くつきあえるようになっていて、そうした動きは加速していくのではないかと思います。 

 昔は、アニメの感想といえば投書しかなかったわけです。それが今ではアニメをオンエアした数秒後には生の感想を拾えるようになりました。これに対して、僕たちアニメの世界の人間は戸惑いました。あまりにも量が多かったからです。一晩で2000、3000のアンケート葉書が返ってくるような状況を想像してください。これまでにも視聴率とかオリコンとかありましたけど、それまでは数字でしかなかったものが具体的な形となって、放っておいても集まってくる。これにTV業界が動揺してしまった。僕なりの言い方をすれば屈してしまったというのがこの10年だったと思います。

 ネット上で、あのカットはおかしかったね、という感想が書かれる。するとプロデューサーとか、TV局の人は見ているんですね。そして現場に「直してくれ」という指示を出す。匿名の、どこまで本気で書いているのかもわからない意見なのに。お客様のニーズと言われればそれまでですが、あまりにも鵜呑みにしすぎている。

 お客さんの方でも、こうした流れに呑み込まれていっています。昔のオタクはマイノリティである事をバネにしていた。「だれも知らないことを知っているのが偉い」というような価値観が、僕たちの世代くらいまでは確実にあったと思います。それが今では他人の顔色をうかがうようになってしまった。マイノリティゆえの自尊心を持たなくなった。

 作り手の視野はどんどんせばまっていって、一部の意見ばかり聞くようなった。受け手の方も、仲間はずれにならないよう気を使うようになった。そんなことが世界中で起きているのではないかと思います。

「世界に誇る日本のアニメ文化」などとよく言われますが、アニメの市場規模は2009年で、2100億円ほどです。「冬のソナタ」の経済効果は日韓合わせて2300億円。「冬ソナ」1本に負けているわけです。売れなくなっていると言われるCD業界でも4000億円です。僕にはこの市場が大きいとは考えられません。野村総研によるとアニメファンというのは11万人程度です。ネットで他人の意見をうかがいながら作った結果がこの程度の市場です。これは袋小路と呼ぶにふさわしいのではないでしょうか。もっと表に向かって発信してく、より先鋭化していくくらいの気構えでいかなければ、ビジネスとしても頭打ちですし、文化としても閉塞していくのではないかと危惧しています。

かんなぎ 1 【通常版】 [DVD]

 ここで「アニメと大震災」に話を移します。大震災がアニメにどんな影響を与えたのか、あまりピンとこないと思います。アニメというメディアやジャーナリズムでは取り上げづらいんですね。アニメと現実との乖離がそれだけ大きかったのです。アニメは現実逃避であるということを、良い意味でも悪い意味でも受け入れなければならないと思います。僕は現実逃避であることを必ずしも悪いとは思っていなくて、世知辛い世界での一服の清涼剤という役割があった。それが大震災という現実を目の当たりにして大きく動揺しています。こんな時代に何を作ってよいのかわからなくなっているクリエイターさんがたくさんいます。言ってしまえば、戦後に始まった日本のアニメ文化が初めて経験する悲劇なのだと思います。

 今のアニメでは「日常系」というジャンルが隆盛を極めています。何も起こらない小さな世界を描く「サザエさん」のような作品です。その日常が失われている。大きなジレンマに陥っています。

 僕もどうすれば良いのか、いろいろ考えまして。ちょうど一昨日にも、仙台の「かんなぎ」という作品のモデルになった町に出かけてまいりました。瓦礫の山を前にして途方にくれました。つい3年前に取材した場所が何もなくなっているのです。まるでリアルに感じられませんでした。その後、岩手の方にもボランティアで行きました。監督として招待されるのではなく、一個人として見ておきたかったのです。正直、弱音を吐きそうになりました。いったい復興するのに何年かかるのだろうという凄惨な光景でした。

 いったいアニメ監督として何が出来るのだろうと考えました。農漁業は壊滅的で、観光産業もキャンセルが相次いでいる。仕事が欲しいという話をあちこちで聞かされました。そこでアニメというコンテンツが大きなチャンスになるのではないと言われて、なるほどと思いました。ここではちょっと言えないのですが驚くようなタイトルを招聘しようとしていたりするのです。現実逃避をしつづけてきたアニメが現実に直面して、何が出来るのかを真剣に考えています。これは誤解されそうな言い方ですが、東北で商売をしたい。お金を落としていきたい。そういう想いを強くしました。

 時間がないので強引にまとめますが(笑) 袋小路に陥っていたアニメが視野を広げて、この日本という国を見渡すチャンスだと思っています。僕は「震災にかこつけて」活動していきます。これは積極的な意味です。日本全体に向けてアニメがコミットする、訴えかける機会だと思っています。一部の特殊な人間が楽しむ文化だと思われてきたアニメが、日本全国津々浦々、老若男女に向かってコンテンツを発信すべきだと、僕たち作り手が思った時、真のエンターテインメント業界へと脱皮することができるのではないか、僕はそう信じています。その信仰を『奇跡』という映画に重ねあわせています。いつか本当に奇跡は起こるのではないか、と。


質疑応答

  • フラクタル」を作っている上で、スポンサーと対立したことはありますか。

フラクタル」については、どうしても言っておきたいことがあるんですよ。アスミック・エースという会社の磯田さんというプロデューサーに会ったのがきっかけです。飲みの席で意気投合して「ヤマカンがやるなら何でもいいよ」って言われたのが始まりです。企画書も書いていないんですよ。これは稀有なケースです。だから製作委員会には、もっと良い思いをして欲しかったのですが、力及ばずで申し訳なかったです。

 たいていのアニメは、スポンサーから作品を渡されるか、こちらから企画書を提出するかですね。ただ、どんな場合でも面白い作品を作ろうとするモチベーションは失われていないと思います。これを見失ったら本当にアニメはどうしようもない事態に陥ってしまいますから。

  • 大学時代のサークル活動について。

 僕はアニメサークルに入っていましたが、他にも美術部にいたり、高校の吹奏楽部にOBとして関わったり、芝居もやったりしました。とにかく寝る以外のことはすべて勉強になりましたね。僕は波風をたてちゃう性格ですから仲間から総スカンを食らったりもしましたけど、失敗したことも成功したことも全部含めて勉強になりました。

  • 就職活動についてアドバイスを。

 大学時代、アニメの監督になろうと誓い合った仲間がいます。彼も業界に就職したのですが生活ができず方向転換しました。世知辛い話ですが、僕も車が買えないくらい収入がありません。彼は僕の数倍は稼いでいます。はたしてどちらが良かったのだろう。爪に火をともすような生活をしながら夢を追い続けるのか、勇気ある撤退をして一生を保証をされた暮らしをするのか。どちらを選ぶのかはあなた次第です。頑張ってください。