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ロンドン・コーリング~『映画 けいおん!』

映画「けいおん! 」公式ガイドブック  ~桜高軽音部 Travel Diary~ (まんがタイムKRコミックス)

 Blu-rayソフト『映画 けいおん!』に、特典として収録されている「山田尚子inロンドン」は、全世界のパピコファン必見の映像である。ちなみに、パピコというは山田監督の愛称なので、帰るまでに憶えておきましょう。

 そもそも山田尚子監督は、それまで、いわゆる「顔出し」というものをしてこなかった。まるで少女マンガ家が、編集部によって厚いベールに覆われているように。まあ、アニメの女性スタッフというのは、わりとそうだったりするのですが。奥ゆかしいと言うべきなのか、どうなのか。

 山田監督が、おそらく、初めてオフィシャルな場に姿を現したのは、2011年2月10日に、さいたまスーパーアリーナで開催された「TVアニメ「けいおん!!」ライブイベント~Come with Me!!~」でのサプライズゲストとしてだったろうか。ネットの画像検索で引っかかるのも、たいていが、この時のキャプチャー画像だったりする。

山田尚子inロンドン」は、そんな山田監督のレアな姿がふんだんに盛り込まれた貴重な30分間である。ほとんどプロモーションビデオと言って差支えがないのである。アイスクリームの自動販売機に興味津々のパピコケンジントン・ガーデンズでリスを追いかけるパピコ、カムデン・タウンで写真を撮りまくるパピコシャーロック・ホームズ博物館でディア・ストーカー(鹿撃ち帽)を被ってご満悦のパピコ

 おそらく、この特典の作り手は、山田尚子という存在を、放課後ティータイムのメンバーの一員のように見せたかったのではあるまいか。おそろしく無邪気で、大胆に行動的で、幼い外見の持ち主……。特典では、現地の人から子供扱いされて「心外ですわ(笑)」とつぶやく山田監督の姿が映っているが、アニメ本編での、梓のワンシーンを想起せずにはいられまい。いや、順序は逆か。

 もちろん、このミニドキュメントは「尚子かわいいよ尚子」に終始しているわけではなくて、あくまでもメイキングビデオである。山田監督は、どのような場面を構想していたのか。番組終盤のインタビューで、以下のように話している。

「唯にはウェストミンスター寺院に連れていきたいと思いました。唯の人生に大きな打撃を与えたいって言ったら変な言い方ですけど、なんか新しい感覚が芽生えそうというか、唯にはそういう神聖な経験をしてもらいたいなと思いました。」
「澪は、あそこに連れてですね。監獄博物館があったところ。お化け屋敷みたいなのが軒並みあったあたりですね。それはもう、皆さんの想像の通り怖がってもらいたいからです。」
「ムギはパブに連れていきたいです。たぶんダメですけど。」
「りっちゃんはトラファルガー広場に連れて行ってですね。ネルソン提督のライオンに登って乗って……」
「梓も唯と一緒ですね。礼拝とかそういう時間に連れていきたい。」

『映画 けいおん!』を観た人ならわかるように、こうした目論みは、ほとんど実現していない。他にも、シャーロック・ホームズ博物館の前で「すっごい楽しかったので、ぜひとも唯たちに行かしてあげたい」とコメントする姿も映っているが、これも叶わなかった。つまり、この映像特典は、いかに『映画 けいおん!』が作られたのかを語るというよりは、実現することのなかった、ひょっとしたら有り得たかもしれない、別の『映画 けいおん!』に想いを馳せるような内容になってしまっているのである。これはどこまで意図的だったのだろう。

 山田監督のプランがアニメに活かされなかった理由は何なのか。考えられるのは、上映時間の問題だろう。もともと90分の予定が、現在の110分にまで伸びたが、それでも落とさざるを得なかったエピソードが数多くあることは、公開当時のインタビューでも触れられていた。なにしろこの映画、主人公たちが帰国した後で、さらにもうひとつクライマックスがあるという、二段構えの構成をとっているのだ。おまけに、旅行に出かけるまでの段取りにも、かなりの時間を割いているし、実は、ロンドンの場面というのは、それほど長いわけではない。

 限られた時間の中で、観光的な要素を省くという判断がなされたという事は、有り得そうな話である。シナリオハンティングに同行した脚本家の吉田玲子は、「アニメージュ」2011年11月号のインタビューで、印象に残った場所を訊かれて次のように答えている。

街並みですね。ホテルから少し歩いたところにキレイな家が並んでいる一画があったんです。かわいい壁があったりして、唯たちはこういう場所を喜ぶよねって。(彼女たちは)観光名所は「あー、あったねー」くらいですませて、むしろ普通の街並みに目が行くんじゃないかと話し合いながら歩きました。

 スタッフの考える『けいおん!』らしさとは、こうした日常的な視座を、登場人物が持ち続けることなのだろう。映画にはプロットの縦糸として、先輩4人が後輩の梓に捧げる曲を作るという目的があるのだが、最初、壮大な曲を作ろうとしていた唯は、旅行の帰りにこう打ち明ける。「いつもの自分たちの曲でいいんだよね」

 こうした「変われなさ」について、作り手は十分に自覚的である。彼女たちは「神聖な経験」をするどころか、ロンドンで本場の紅茶を味わうことさえできないのだし、律が「世界が狭すぎるにもほどがある」と呟くように、ロンドンを舞台にしても、物語を左右するのは、同じく日本からやってきたラブクライシスのメンバーだ。(観光というカジュアルな形でさえ)異文化と触れるよりは、ホテルで馴染みのメンバーでドタバタをくり広げる方が、より「けいおん!」らしいのだ。

 こうしたありかたは、それこそTVシリーズが始まった当初から、くりかえし批判されてきたのであるが、こうしてシリーズ完結篇まで、首尾一貫してきた事には、凄みのようなものも感じられる。そして、その一方で、作り手の側にも、そこから脱却しようという意志があったことも、この特典映像からはうかがえるのである。(2012.10.3)